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zoom RSS 「コードギアス 反逆のルルーシュR2」から見る欲望とは。

<<   作成日時 : 2008/08/24 19:39   >>

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「やればできる俺」という欲望

―― いつの時代も変わらない、人間の根っこというのは何だと思われるか

人間が生理として持つ三大欲求は、今も昔も変わらない。
それより大脳のもう少し外側にある欲求。

「外に出したい」。もう1つは「取り込みたい」。
大ざっぱに分けたらこの2つが大事だということ。

「外に出したい」というのは、
笑ったり、涙だったり、泣き声だったり、感情に付随するもの。
何かを外に出したいんです。

もう1つの欲求は「取り込みたい」。
自分にないものを埋めたいというもの。

そこを出発点にすれば、次のステップへと進める。
昔からカルチャーは、「お話」でも「世界観」でも「登場人物」でも、
あるいは浄瑠璃のような「人形」でもいいんですけど、
思いを入れるきっかけになるものを与えて、
人々の欲求に応えてきたのだろうと私は捉えているんです。
人間というのは、対象(きっかけ)さえ与えられれば、それを手がかりにして、
脳内でふくらませて、勝手に物語を作り上げて楽しむことができるんです。

ストーリーっていろんなものでできる。

コンビニ弁当を例にした話しでは。

「有名シェフとか芸人さんが監修したというと、
お弁当の中身は特別変わったものじゃなくても、
誰々さんが作った味ってどんな感じかなと、お弁当を見て、
そこから先は自分の頭の中で勝手にストーリーを作っているんですね。」


―― 脳内で何かしら、自分なりのストーリーができる。
カルチャーというのは、観客がストーリーを考えるきっかけを与える役割がある。

「自分にないものを埋めたい」というのは、「知りたい」ということですね。
さらにその先には「考えたい」というか、「考えるきっかけが欲しい」というか、
「何であいつはこんなことをやるんだろう」「こいつはこんなことをやったらどうなっちゃうんだろう」、
みたいな。人間が興味を持つものは、やっぱり人間に行き着く。いつの時代どんな年齢の人でも。

これはもう物語が持っている根幹中の根幹ですから、
ここさえ外さなければ大丈夫なはずなんです。

古今東西、人間は「万能感」が欲しい


―― 具体的には人間が何が欲しいのか。

人間が欲しがるもの、好むものは昔からおんなじで、
友達が欲しい、彼氏彼女が欲しい、誰かに勝ちたい、誰かを思い通りに動かしてみたい、
というようなことなんですよ。

今の子供たちが 「何かが欲しい」という欲求は変わらないのですが、
「どうしたら手に入れられるか」という発想の仕方が、
私たちの10代の頃と全く違うところなんですよ。

やってないのに、「俺はやったらできる子」
先生に取材したときにうかがった話なんですが、生徒に、
将来何になりたいかを聞いて、サッカーの選手になりたいと。
「でもお前はサッカー部じゃないだろう、運動は何かやっていたっけ」
と聞くと「いや、やっていないですけど」と返ってくる(笑)。
お前そんなネタ会話みたいなのやめろよと言っても、
本人は結構、本気らしいんですよ。


やってなくても、「俺はやったらできる子」という感じなんだとか

「自分はやればできる子」だと。
まだ表には出ていないけど、自分の中の潜在能力はすごく高いと
見積もっているらしい。

「登場人物が抜きんでた能力を持っているのは、
別にアニメやライトノベルに限らないですよ。
物語の基本構造としては昔からあるパターンの1つですから。
さらに言えば、セカイ系だけで、今の10代をくくるのは危険かと…。」


ただ、今の10代の子は、例えば「サッカー選手になりたい」という空想を、
現実世界でも「俺はなれるだろう」と容易にスライドしてしまうケースが多い、
というだけで。

『「自分はやればできる子」というのは、
もしかしたら今の若い人のキーワードのひとつかもしれない。

実際は、自分の願望と現実の間には大きな距離があって、
その距離を測った上で縮めていくものだと思うのですが、
お話をうかがっていると、そもそも願望と現実の間の距離を
測ろうとしていない気がします。その“測られなさ”は一体何でしょうか。』


確かに、どんなに時代背景や、使用するツール(例えば携帯電話、
ゲーム機など)が変わったとしても、人間の本質や欲求は変わっていない。

「外に出したい」「取り込みたい」ということは変わらないかもしれない。
悲しいときは、涙を流したいし、苦しいときや辛いときは叫びたい。
自分に足りないところがあれば、それを補いたいと思っているのは
常なのかもしれない。

また、自分自身のストーリーというのができているだろうか。

自分なりのストーリーが組み立てられれば良いのだが、
現実では、どうだろう。

「どうすれば、そうなれるのか?」
オレなら、まずそこで止まってしまうような気がする。

また、「どうすれば」という手段の前に、自分が何が欲しいのか?
ということで立ち止まるかもしれない。

きっとどこかで自分自身の中で「自分は何もできない」という
歯止めをかけて距離をとってしまっているからだろう。
どこかに欲しいものを思い描いたとしても。

10代のとき、「俺(自分)にはできるんだ」という思い込みに近いものがあったなら、
きっと今こうして思うことはなかったのかもしれない。

日経ビジネス オンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080820/168407/?P=1

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